村上春樹『海辺のカフカ 上』

田村カフカ

「田村カフカ?」
「そういう名前なんです」
「不思議な名前だ」
「でもそれが名前なんです」と僕は主張する。
「もちろん君はフランツ・カフカの作品をいくつか読んだことはあるんだろうね?」
僕はうなずく。「『』と『審判』と『変身』と、それから不思議な処刑機械の出てくる話」
「『流刑地にて』」と大島さんは言う。
「僕の好きな話だ。世界には沢山の作家がいるけれど、カフカ以外の誰にもあんな話は書けない」

(村上春樹海辺のカフカ 上』p.117-118より)

レッド・ヘリング

「意図的に話を混乱させる」と大島さんは、まるで文字に傍点を打つみたいに相手の言葉を反復する。
「そうじゃないとでも言うんですか?」
「レッド・ヘリング」と大島さんは言う。曽我という名前の女性は口を開けたまま、何も言わない。
「英語に red herring という表現があります。
興味深くはあるが、話の中心命題からは少し脇道にそれたところにあるもののことです。
赤いニシン。どうしてそんな言いかたをするのかまでは浅学にして知りませんが」
「ニシンだかアジだか、いずれにせよあなたは話をはぐらかしています」
「正確に申し上げれば、アナロジーのすりかえです」と大島さんは言う。
アリストテレスはそれを、雄弁術にとってもっとも有効な方法のひとつであると述べています。
そのような知的トリックは、古代アテネ市民のあいだでは日常的に楽しまれ、行使されていました。
当時のアテネにおいて『市民』の定義に女性が含まれていなかったのはまことに残念なことですが」

(村上春樹海辺のカフカ 上』p.374-375より)

うつろな人間たち

差別されるのがどういうことなのか、
それがどれくらい深く人を傷つけるのか、それは差別された人間にしかわからない
痛みというのは個別的なもので、そのあとには個別的な傷口が残る。
だから公平さや公正さを求めるという点では、僕だって誰にもひけを取らないと思う。
ただね、僕がそれよりもさらにうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。
T・S・エリオットの言う 〈うつろな人間たち〉だ。
その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、
自分ではそのことに気づかないで表を歩き回っている人間だ。
そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。

(村上春樹海辺のカフカ 上』p.383-384より)

システム

想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ、ひとり歩きするテーゼ、
空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。
僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から恐れ憎む。
なにが正しいか正しくないか――もちろんそれもとても重大な問題だ。
しかしそのような個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。
過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。
しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。
宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこに救いはない。
僕としては、その手のものにここには入ってきてもらいたくない

(村上春樹海辺のカフカ 上』p.385より)

運命が人を選ぶ

人が運命を選ぶのではなく、運命が人を選ぶ。
それがギリシャ悲劇の根本にある世界観だ。
そしてその悲劇性は――アリストテレスが定義していることだけれど――
皮肉なことに当事者の欠点によってというよりは、むしろ美点を梃子にしてもたらされる。
僕の言っていることはわかるかい?
人はその欠点によってではなく、その美質によってより大きな悲劇の中にひきずりこまれていく。
ソフォクレスの『オイディプス王』が顕著な例だ。
オイディプス王の場合、怠惰とか愚鈍さによってではなく、
その勇敢さと正直さによってまさに彼の悲劇はもたらされる。
そこに不可避的にアイロニーが生まれる

(村上春樹海辺のカフカ 上』p.421より)

あり得ない

「もちろん、そんなことはあり得ない」
「たとえ夢の中でも」
「あるいはメタファーの中でも」と大島さんは言う。
アレゴリーの中でも、アナロジーの中でも」

(村上春樹海辺のカフカ 上』p.433より)

19歳の佐伯さんと15歳の佐伯さん

写真の佐伯さんは19歳で、15歳のときより顔立ちは少しだけだけ大人びて、成熟している。
顔の輪郭が――むりに比べればということだけれど――いくらか鋭くなっているかもしれない。
ちょっとした心もとなさのようなものが、そこからは消えているかもしれない。
でもおおまかなことをいえば、19歳の彼女は15歳のころとだいたい同じだ。
そこにある微笑みは、僕がゆうべ目にした少女の微笑みそのままだし、頬杖のつきかたも、
首の傾げかたもぴたりと同じだ。そしてその顔だちや雰囲気は、当たり前と言えば当たり前なのだけど、
現在の佐伯さんにそっくり引き継がれている。
僕は今の佐伯さんの表情や仕草に、19歳の彼女と15歳の彼女をそのまま見いだすことができる。
整った顔だちや、現実離れをした妖精っぽさは今でもそこにある。
体つきだってほとんどかわっていない。僕はそのことをうれしく思う。

(村上春樹海辺のカフカ 上』p.471より)

ことばと意味の繋がりがつかめない

佐伯さんは僕になにかを質問する。でもそれに答えることができない。
質問の意味さえよくつかめない。もちろん彼女の言葉は僕の耳に入ってくる。
それは鼓膜を振動させ、その振動は脳に伝えられ、言語に置き換えられる。
でもことばと意味の繋がりがつかめない。
僕はどぎまぎして赤くなり、要領を得ないことを口にする。
大島さんがかわりに彼女の質問に返事をしてくれる。
僕はそれに合わせてうなずく。佐伯さんは微笑み、僕と大島さんに別れの挨拶をして帰っていく。

(村上春樹海辺のカフカ 上』p.473より)

海辺のカフカ

そしてカフカという名前――佐伯さんはその絵の中の少年が漂わせている謎めいた孤独を、
カフカの小説世界に結びついたものとしてとらえたのだろう、僕はそう推測する。
だからこそ彼女は少年を「海辺のカフカ」と読んだ。
不条理の波打ちぎわをさまよっているひとりぼっちの魂。
たぶんそれがカフカという言葉の意味するものだ。

(村上春樹海辺のカフカ 上』p.485より)


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村上 春樹
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3 無駄の多い作品
5 海辺のカフカ[上]
5 流暢な、夢の語り部
5 ぼくはアンチ村上春樹でしたが、この作品は紛れもない傑作です
5 余韻。